インタビュー

帝京大学SPH卒業生に関わらず

日本で働く、または、日本を拠点として活動するMPH取得者に

インタビューをしてみました。

No5.  坂元 晴香 さん

 国際保健に興味もち、日本の医学部に入学。医学部在学中に各国を渡り歩き、公衆衛生の重要性に気が付いたといいます。研修を終えても、公衆衛生への情熱は失われることなく、厚労省への出向を経て、ハーバードSPHに入学した坂元さん。そんな坂元さんに、公衆衛生への出会いと、MPHを取得後の率直な意見を聞いてきました。

坂元さんのインタビューは、ここから  (2017年8月3日)

 

Q1: 公衆衛生に興味をもったきっかけは?

 小学生の頃ですが、テレビだったのか道徳の授業だったのかはっきりとは覚えていないのですが、国境なき医師団について知る機会がありました。アフリカの難民キャンプで働くその姿に衝撃を受け、自分自身も国際保健に携わりたいと思い医師を目指しました。

 その後、、無事医学部に入学できたわけですが、医学部在学中にアルバイトでお金を貯めてはアジアを中心に、いわゆる途上国と言われる場所を、バックパッカーで渡り歩いていました。訪れる先で多くの医療施設を見させてもらう中で、なんとも言えない無力感が次第に沸き起こるようになりました。「途上国で苦しむ人のために医者になり、彼らを助けたい」そう思い医学部に入りましたが、私がたった一人で、どこかの国や地域で数年、数十年働くことで一体どれくらいの人を救うことができるのだろう、と。

 もちろん、戦地や災害時などの緊急事態において、現場の最前線で働く医療従事者たちもとても重要です。と同時に、もしその国で十分な量かつ質を備えた医療従事者を育てることができたら。十分な医薬品を用意することができれば。綺麗な水へのアクセスが十分あれば。十分な量のワクチンが手に入り子供達のワクチン接種率が上がれば、より多くの人が長きにわたって健康になれるのではないか、そのようなことを思うようになりました。

 「その国の保健医療人材を育て、より良い医療制度を作りあげていくことができれば、何十年も先にわたって、この地に住むより多くの人に良い医療を提供できる」、多くの途上国を訪れる中で実際の医療を見ていく中で公衆衛生の面白さに気がつきました。

 

 Q2. 自分のキャリアで、いつ頃にSPHに入学したのですか?

 医学部を卒業して3年臨床医として働いた後も公衆衛生への興味は途絶えることがなかったので、より公衆衛生の実務経験を積める場として厚生労働省に2年間出向しました。厚生労働省の仕事は実に刺激的でとても面白いものでした。と同時に、私自身これまで体系的に疫学や統計の勉強をしたことがなく、公衆衛生に関する確たる知識を持っていないこともまた実感しました。

 政策を立案・実施し、それを評価するという一連のプロセスの中で、公衆衛生に関する知識が十分でなければより良い政策立案に関わることは難しい、そう考えてMPHを取得することを決めました。卒業してから6年目(臨床を合計4年、厚労省の勤務を2年終えた段階です)。


 Q3. なぜ、ハーバード


 最近では、日本国内にもMPHを取れる学校は増えてきていますが、私の場合は敢えて海外の大学院を選びました。やはり自分自身の興味は国際保健、中でも途上国や災害・紛争地域における医療だったので、主に日本の医療問題を中心に取り扱う日本国内の大学院よりは、Global Healthに強い海外大学院にしようと思ったのが、理由の一つです。もう一つの理由は、将来海外で働くことを考えていたため、早くから日本人だけではなく多国籍の環境で身をおきたいと思ったことです。

 私自身、進路などを決める際に常に”Get out of comfortable zone”という言葉を意識していて、どちらに行くことが自分にとってより難しいか?という視点も意識するようにしています。日本とアメリカの大学院を考えた際に、(どちらの大学院が良い・悪いという話ではありません)“私自身にとってどちらがより大変か?”ということを考えたときに、アメリカに行く方がchallengingだと考え、前述の内容も含め最終的にアメリカに決ました。

 アメリカの中でもハーバードにした理由は、Global HealthやHealth Policyに強い学校であることが一番の理由です。またハーバードの場合は、公衆衛生大学院の授業だけではなく、ビジネススクールで行われる医療経営の授業、ケネディスクール(政治学校)で開催される制度・政策論に関する授業など多様な授業を選択できることも魅力的でした。


Q4. 4. 在学した大学の長所は?

 「なぜ、ハーバード?」というところと重なりますが、学生の多様なバックグラウンドがまず一番の長所でしょうか。単に国籍や年齢だけでなく、入学する前にやっていたこともバラバラですし、卒業後に選ぶ進路も皆バラバラです。「柔軟にキャリアを変更していくのが当たり前」という環境だったので、そうした自由な雰囲気はとても居心地が良かったです。

 またハーバードは周辺に関連病院がたくさんありますので、(私自身はそこまでの余力はありませんでしたが)本人のやる気と実力があれば、病院と一緒に共同研究は行いやすい環境だと思います。さらに、ボストンという土地柄、ハーバード以外にもMITやボストン大学といった学校もあり、すべての授業ではありませんがこうした学校の授業も選択することが可能でした。


Q5. 在学した大学の短所は?

 短所はあまりあり思いつきませんが、強いて言えばアメリカの学校はお金がかかることでしょうか。

 授業料だけで年間700万円くらいかかります。私の場合は幸い奨学金をいただくことができましたが、そうでない場合には、実際にこれほどのお金をかけてまでアメリカに行く意義があるのかは検討の余地があると思います。
 また、ハーバードは大きな学校で1学年あたりの人数も多かったので(フルタイムの学生が200名ほど、パートタイム学生が200名ほど)、教員たちとの距離は日本に比べると遠く、あまりアットホームな雰囲気という感じではなかったかなと思います(自分が積極的に教員とコンタクトを取ればもちろん親身になって研究の相談には乗ってくれます)。

 

Q6. 在学中に、もっとも大変であったことは、何ですか?

 アメリカの場合は1年(実際には8か月程)で終わるコースが大半なので、とにかく日々の授業準備や課題、試験が大変でした。学生から社会人になって数年経過していたので、また学生の生活スタイルに戻すのにも少し苦労しました。例えば、試験前の追い込みなど!(笑)

 と言いつつも、振り返れば、勉強だけに専念できるのは非常に貴重な時間だったと思いますし、それだけ短期間に集中して取り組んだからこそ多くの知識を身につけることができたとも思います。

 Q7 . 卒業して、何か変わりましたか?


 これまでは、点と点でしかなかった公衆衛生に関する知識が、MPHを取得する過程で繋がり、ある程度ですが(公衆衛生を)面として捉えることが出来るようになりました。つまり、体系的に「公衆衛生」という分野を、捉えることができるようになったと思います。

 また、MPHとは直接関係ありませんが、アメリカに1年住み、多様な国籍の人たちと触れ合ったことで、通り一遍の言葉ではありますが、自分自身の視野もより大きく広がったように思っています。


Q8. MPHを取得して、よかったことは?


 正直な所、1〜2年MPH取得のために公衆衛生を勉強したと言っても、公衆衛生を極めるにはほど遠く、ほんの入り口に立てた程度に過ぎないと思います。

 とはいえ、公衆衛生という学問がどのようなものなのか、それが臨床現場や医療政策という場を通じて人の健康にどのように寄与しているのかを見ることができたのは大きな収穫だったと思います。

 医療に関わる人たちは、そもそもの動機はやはり「人を健康にしたい」という所に行き着くのかと思いますが、どのようなアプローチで人の健康に寄与するにせよ(臨床でも研究でも行政でもそれ以外の分野でも)、公衆衛生は切っても切り離せない学問だと思います。

 その意味で、医療に関わる人には、素養としてMPHで学ぶような内容を身につけておくことが良いのでは?と感じています。

 

 

 

 

 

 

No4. 松永 展明 さん

 現在(2017年)、国立国際医療研究センター・AMRリファレンスセンターで、抗菌薬の適正使用を啓発する立場で仕事をされています。SPH入学の動機は、「統計を学ぶ」だけでした。しかし、そんな松永さんは、帝京大学SPHを卒業し、「視野が広がった」と言います。
 ひとりの臨床家が、公衆衛生に触れることで、「何が変わったのか?」を、聞いてきました。

★ 松永さんのインタビューは、ここから  (2017年6月30日)

 

Q1: 公衆衛生に興味をもったきっかけは?

 もともと、小児科の医師です。感染症と新生児科を専門として臨床に邁進(!)していました。当然ですが、新生児室で医療を受ける児は、重症例が多く、ほとんどに感染症が絡んできます。


 新生児医療を実践する過程で、臨床医として疑問を持つようになりました。それは、「新生児の医療に、エビデンスが少なかった」ことです。「エビデンスが少ない」ことで、様々な施設が「それぞれ一番良いと考えている治療」を行っていたのが、新生児医療の現状でした。もちろん非常に優れた臨床試験もありますが、早産児は特に背景が様々です。「十分な症例数を元にした臨床研究は出来ない」と、思っていました。


 一方で、世界的に見ても予後が非常に良い日本の新生児医療、つまり客観的に「良いこと」を、外に発信していかなくてはいけないと考え続けていました。臨床研究で日本の現状を伝える「発信手段を持ちたい」と思ったことが、公衆衛生に興味を持ったきっかけです。

 

 Q2: なぜ、帝京大学・公衆衛生大学院に入学したのですか?

 実は、「統計を学ぶ」ためだけに、SPHに入学しました。統計=公衆衛生と思っていました。入学前の入学説明会で話を聞くと、入学してくる学生の幅が広いことを知りました。帝京大学・講師陣の受け入れも、好印象でした。

 遠くから通っている人もいたり、講義の時間とか、かなり譲歩してくれたりしたのも魅力です。「仕事をしながらでも、勉強できますよ」と、言われたのが入学した動機です(笑)。
 入学した決め手は、「病院で働きながら、+αでMPHを取得できる」と、言われた事です。


Q3. 自分のキャリアで、いつ頃にSPHに入学したのですか?

 大学を卒業し12年目で、帝京大学SPHに入学しました。個人的には、小児科専門医を取得し、その後に、新生児専門医、感染症専門医を取得しようと思っていた時でした。


 不安としては、「臨床を離れると、専門医を取得する基準が厳しいかも・・・」と、思っていました。実際は、臨床もやりながら1年間通学することが出来ました。


Q4. 4. 在学した大学の長所は?

 ダイバーシティ(多様性)というか・・・・。いろいろなバック・グラウンドを持った人が、在籍していることです。さらに、大学として受け入がよく、面倒見がよいところです。


 困ったときには、「なんでも相談してください」と、講師陣からアプローチしてくるところが、非常に良かったです。例えば、「反応がないことが、大丈夫」ではなく、「反応がないことが、悪いことではないか?」と考えて、講師陣全体がアプローチしてくれるところが長所です。優しいですよね。


 素晴らしい講師陣がいるので、勉強もしっかりできました。個人的には、「勤務しながら勉強する」ことを、全力でサポートしてもらいました(笑)。


Q5. 在学した大学の短所は?

 短所は・・・・、大学の短所は・・・・、うーん・・・・

 自分の問題でもあるのですが、かなりきつい!(笑)。カリキュラムが1年だとかなりきつい・・・。今では、「1年間で公衆衛生を学ぶことが、本当に大丈夫かな?」と、考えています。


 自分としては、「統計を1年間学んだ」のですが、1年間では統計入門しかできませんでした。1年で統計の学習を系統的に頭に入れて、自分の中に持ち帰り、卒業して、ようやく2~3年統計を実践することで、「統計を勉強しました」と、人に言えるようになりました。
 ですから、卒業した身としては、1年ではなく、2年コースの方がお勧めです(笑)。

 

Q6. 在学中に、もっとも大変であったことは、何ですか?

  勉強と課題!(笑)。


 実際は、勤務との両立です。勤務するために、休んだ分を補てんしなくてはならないので・・・。体を動かす(臨床とか)だけならいいのですけど・・・。今まで、触れたことがない分野に触れることが、最も大変でした。


 勉強が無茶苦茶大変でした。実際に、1年では勉強が追いついてなかったです。

 

 Q7 . 卒業して、何か変わりましたか?


 景色が変わりました!


 例えば、「学会に出席して、ほかの人の発表を聞く」状況を、想像してください。入学前は、ほかの人の発表を聞いても、吟味するまでに至りませんでした。SPHを卒業後は、学問的なものを見る角度が広がり、自分の引き出しが多くなり、全体を広く見えるようになったと思います。

 これは、感覚でしかないのですが、明らかに卒後に変わりました。


Q8. MPHを取得して、よかったことは?


 統計を学ぶために、SPHに入学したのですが、ほかの分野(例えば、医療経済、心理学、リーダーシップ論・・・)が、非常に勉強になりました。MPHを取得することで、「自分が、何のために医者になったのか」を、もう一回思い出させてくれました。

 高校生の時って、「世の中の人を、健康にしたい、幸せにしたい、世界の役に立つのだ!」という夢があるじゃないですか!だから、僕たちは医療を志したのではないでしょうか?
自分としては、根本的な「医者になった動機」を想起させてくれたことが、MPHを取得して良かったことです。

Q9. 最後に一言!


 実は、お金持ちになりたいです。そうしたら、人を救える(笑)。


 「経済こそ、人を救える」この逆説的な真理こそ、公衆衛生を勉強したから心から言えることです。こんな事考えていたら、ザッカーバーグ(Facebookの創設者)が、ほとんど全財産を寄付したじゃないですか!「あっ、それそれ!やりたい事!」って、勝手に思っていました(笑)。
 こんな発言は、入学前にはありませんでした。くだらないことかもしれませんが、「世界を平和にしたい」と、帝京大学SPHを卒業した今は、心から言えます。






No.3 井上 まり子 さん

 現在(2016年)帝京大学公衆衛生学研究科の准教授として、公衆衛生の教育に従事されている井上先生に、自身のMPH取得にいたる経緯などをお聞きしました。
 井上先生のバック・グラウンドは、医療系ではありませんが、高校時代から国際協力の仕事に興味があり、紆余曲折を経てMPHを取得されております。非医療系の方は、必見の内容となっております

★ 井上さんのインタビューは、ここから  (2016年7月28日)

 

Q1: 公衆衛生に興味をもったきっかけは?

 私は、医療従事者ではないので、少し不思議に思われるかもしれません。高校時代から国際協力の仕事に興味があり、大学では国際関係論など、社会科学系の勉強をしていました。「国際協力の仕事に就きたいな」と考えたとき、社会科学系のバック・グラウンドだけではダメだ、「技術」が必要だと思いました。当時の私にとっては、国際協力と言えば、農業、土木工学、保健衛生分野でした。
 保健衛生分野に決めたのは、高校時代にフィリピンに体験学習に行ったことがきっかけです。フィリピンでの体験学習で「衛生環境が悪いために子供たちが病気になる。」ことを学び、「環境を変えないと」と思い、公衆衛生学に興味を持ちました。

 


Q2: なぜ、公衆衛生大学院に入学したのですか?

 Disciplineとしての公衆衛生。つまり「公衆衛生を体系的に勉強したい」と、思ったときに、日本では当時(1990年代なかば)は、社会医学系の出身者は医学部の公衆衛生の勉強は出来ませんでした。実は、いろいろな医学部の公衆衛生の教室に、話を聞きに行ったりもしました。門前払いをくらったり、お話しを聞いていただいても箸にも棒にもかからなかったり・・・。 でも勉強したい。当時、海外に目を移すと、「どうも専門職大学院・公衆衛生大学院があるようだ」と、知りました。


 大学を卒業した後に、「公衆衛生をやりたい、けどできない」無職の状態でした(笑)。私は、「なんで、こんなに出来ないのだろう。」と、考えたこともありました。

 今だったら、もう少し別の方法を考えると思うのですが・・・。


 (そんな宙ぶらりんな、状態だったのですが、)たまたま結婚することになり、夫の留学に伴ってアメリカに行くことになりました。アメリカに行って、その噂の公衆衛生大学院を見に行ったら、「なーんだ」と。

 もちろん医師や看護師は多いのですけど、経済学や教育のバック・グラウンドの人、栄養、社会学、人類学・・・いろんなバック・グラウンドを持った人が勉強していることがわかりました。「だったら、私も行けるだろう」と。勉強をして、ミシガン大学SPHに入学しました。


Q3. 在学した大学の長所と短所は?

 本当に、ミシガン大学は大好きで・・・(笑い)。ミシガン大学自体も良いのですけど、ミシガン大学のSPHの良さとしては、いくつか入学を迷ったSPHの中でも、すごくGeneralなカリキュラムだったことです。
 帝京大学SPHでもそうですが、コアな必修科目5分野と選択科目に身を置いて、自分で好きな分野の勉強をアレンジでき、その選択できる科目の範囲が、学部外までに及び非常に広かったのが魅力の一つでした。


 それからミシガン大学は州立大学なので、州のいろいろなプロジェクトと繋がって授業を展開していました。授業の一環で、例えば・・・喘息の子供たちのプログラムに入って、そこのフィールドを見て、「問題は何か?」など、州のパブリックな部分とつながりながら、アクティブな授業(帝京でいうところの問題解決型ですね。)が受けられました。
 ミシガンでは寮生活をしていました。これもとても良かったです。ミシガン大学はどの学部もそれなりに強く、寮で生活する中で、いろいろな人とのネットワークができました。今でも当時の仲間との交流があります。

 短所は・・・私の中では、ほとんどないです。挙げるとすると・・・寒い(笑い)。当時は、建物が古かったことでしょうか。あと、ミシガン大学は、夏のインターンシップが必須です。そして1年では卒業できないのです。なので、日本人にはちょっと不人気かと思われました。
 あとはお金ですね。州立大学なのに私立大学並みの学費がかかりました。でも、そこは自己投資と考えました。


Q4. 在学中に大変だったことは?

 もう、授業全部!


 毎回毎回の授業に、冗談抜きでこの位(厚さ4-5㎝?)のReading Materialを読んで参加し、意見を言わないといけない(=Participation)が、求められます。だから、最初は、Reading Materialだけで、必死でした。
 後は、皆さんと同じように、疫学・統計!宿題も、毎週毎週出して・・・。(数字に)馴染みがないので、大変でした。


Q5. 卒業して、変わったことは?

 卒業した直後は、特に変わっていないと思います。少なくとも、今まで知らなかった疫学・統計などを体系的に勉強できたのは、非常に大きかったです。


 あとは、やはり就職するときにMPHを得たことで、様々な就職を考えられるようになりましたね。公衆衛生に関係がある(背伸びをして)国際機関、NGO、シンクタンクなどです。ご縁があって卒業後はフィリピン保健省の政策アドバイザー(JICA専門家)のアシスタントを務めました。今でも当時の保健省の方々やフィリピンの人々とはつながりがありますよ。文字通り「同じ釜の飯を食う」体験はかけがえのないものでした。おそらくMPHなしにはできなかった体験でしょう。


 就職活動をするときに、MPHって書くと文系バック・グラウンドかもしれないけど、「公衆衛生の5分野を勉強した人」だと思ってくれることが良かったです。強みにも励みにもなりましたね。

 


Q6. MPHを取得してよかったこと。

 取得した「直後、中間、現在」で、よかったことが違います。直後は、MPHは、切符として?免状?として、就職に使えたと思います。そして今思えば直後はまだまだだったのですが、人生のうちでSPH在学中に必死で勉強したという経験に鍛えられました。


 中間くらいになると、また違ってきます。私は、日本に帰ってきて、公衆衛生の博士課程に入学しました。そこで気が付いたのはMPHで学んだ幅の広さです。日本だと自分の専門だといろいろ知っているのですが、専門以外のことは全く知らない人や研究対象以外に興味がない人もいますね。でも、SPHで5分野全てを(多少なりとも)満遍なく勉強していたので、何を聞かれても「それなりに引き出しがある」という、強みがありました。


 たとえば、帝京大学に就職したときに、「タイに大気汚染の研究をしに行かない?」と言われたときも、大気汚染のことはよく知らないけれど、大気汚染が(呼吸器だけでなく)循環器系にも影響を及ぼすことを知っていたり、社会的要因を考えたり、「面白そうだな」と思える幅の広さがMPHを取得してよかったことです。

 そしてちょうど今はMPH取得から10数年が経ちました。実は、今こそ「MPHを取得してよかった」と思っています。帝京大学SPH教員として教育にかかわるとき、バラエティーに富んだMPHを取っておいたので、「いろいろな事に柔軟に対応できている」と思っています。


 実は、帝京大学SPHの立上げからのメンバーのひとりで、教育カリキュラム作りに参加しています。「日本で、SPHをやって行こう!」という意気込みで、帝京大学SPHが作られ、作り続けています。ミシガン大学で、一通りSPHで勉強したことは今になって、帝京大学のSPHが目指す専門職大学院の教育づくりに役立っています。

 私たちの教育を受けた学生さんがMPH(DrPHも)を取得して、世に出て一緒に社会を変えていきます。これが、今感じる「MPHを取得して良かった」ことです。

 


Q7 . 最後に一言。


 MPHは本当に取得してよかったと思える学位です。いいときばかりではないかもしれませんが、どうぞ「やりたい!」と思ったことを大事にしてください。
 これから私たち教員も専門職大学院の教育やMPHの普及に努めていきます。是非、日本の公衆衛生の専門職にできることを広げ、「ひとびとの健康のため」というキーワードのもとに、よりよい社会を共に目指しましょう。
 帝京大学では毎年様々なイベントを開催しております。今年は帝京大学50周年記念国際学術集会が開催される予定で、会期中は各学部・センターからの国際シンポジウムが目白押しです。

 帝京大学SPHでは、第48回アジア太平洋公衆衛生学術連合国際会議(APACPH)を開催します。多くの著名なゲストを招いて開催!本当に次にこのメンバーが集まるのは、「いつのことやら」というくらいです(!!!)。

 9月16日(金)~19日(月・祝)の連休は是非、帝京大学・板橋キャンパスへ!






No.2. 坂西 雄太 さん

 日本プライマリ・ケア連合学会で、ワクチン論を展開する論客の一人。坂西さんは、佐賀大学医学部を卒業し、歴史ある同・総合診療部に入局。その医局人事で、派遣された北海道・幌加内町での経験が、坂西先生の人生を左右することに・・・。
 現在(2016年)佐賀大学医学部・地域医療支援学講座に籍を置く坂西さんに、自身の公衆衛生の接点についてインタビューをしました。

★ 坂西さんのインタビューは、ここから (2016年6月12日)

 

Q1:公衆衛生に興味を持ったきっかけは?


 もともと予防医療に興味があったのですが、医師として行政に関わったことで、「公衆衛生を学ぶ」モチベーションが生まれました。実際は、医学部を卒業後14年目でSPHに入学しています。

 実は、医学部を卒業した時は、「研究とか、どうでもいい」と、思っていました。医師になると臨床が楽しく、臨床が出来れば満足でした。でも、北海道の経験を得て、「臨床研究は重要だ」と、思うようになりました。


 私は、佐賀医科大学を卒業し、同・総合診療部に入局しました。卒後7年目で、佐賀大学の総合診療部から、北海道の幌加内町に赴任しています。赴任した北海道の病院は、町内で唯一の医療機関でした。


 赴任した病院のある北海道・幌加内町は、人口1700人、高齢化率35%を超える町で、子供も多く住んでいます。しかし、近くの小児科がある総合病院までは、救急車でも1時間かかります。細菌性髄膜炎など早期の治療を要する小児救急疾患において、小児科医を受診するまでにすでに時間的・距離的なリスクがあるわけです。そのような重要な小児の感染症を予防するためにはワクチンがあるのですが、日本では任意接種はお金がかかるため任意接種ワクチは接種率が低いという問題がありました。


 幌加内に赴任した私は、「重要な小児のワクチンの接種率を可能な限り高める必要性」を、強く感じました。そこで、小児の任意接種ワクチンを行政(町)に掛け合い交渉を行いました。その交渉の結果、6種類の任意接種ワクチンについて接種費用の全額助成(!)を行政からしていただくことになりました。

 この経験から、医師として疫学的な知識を求め、もっと専門的に勉強してみたいと思うようになり、公衆衛生を学びたいと思うようになりました。

 ネガティブなイメージを持たれがちな「へき地」での経験が、私にとってはとてもポジティブなものだったわけです。幌加内に行かなれば、病院という小さな世界しかしらない医者のままだったかもしれません。


Q2:なぜ、京大のSPHを選んだのですか? 

 直接の上司が、京都大学の医療疫学教室の卒業生だったのが、直接的な理由かもしれません。さらに、医局の先輩もそこで勉強していた経緯もありました。でも、直接上司や先輩に、京都大学を勧められた訳ではありません。

 実際は、実体験に拠ります。幌加内で3年仕事をしたのち、佐賀大学に戻りました。幌加内の経験をもとに、日本プライマリ・ケア連合学会で、ワクチン・ワーキング・グループの立ち上げに関わりました。そのワーキング・グループで、学会員に対してワクチンのアンケート調査をすることになりました。

 ワクチンのアンケートを作る過程で、京都大学の大学院出身の上司や先輩、佐賀大学の予防医学の先生に指導していただき、さらにアンケート集計後の解析も手伝っていただきました。でも、やっぱり「自分で理解して、研究デザインから解析まで出来るようになりたい」と、強く思うようになりました。

 そこで、上司に掛け合い1年間退職して、京都大学で勉強したい旨を伝えました。了承されたのち、京都大学の2年の社会人枠で入学しました。1年目は京都に単身赴任して、2年目は佐賀で仕事をしながら、社会人として勉強を継続しました。


Q3. 京都大学SPHの長所と短所を教えてください。

 とても専門領域がたくさんあることが、京都大学の長所です。今まで接点のなかった、環境疫学、医療経済なども詳しく聞けるので、刺激になりました。私が所属した医療疫学の教室は、メンターがついてくれました。今でも研究に関してアドバイスをもらっています。またMD以外にもいろんなバック・グラウンドや世代の同級生と仲間になれたことも自分にとっては大きな長所です。

 短所は、あまりないですね・・・。あえて言うと、単身赴任している身としては、“距離”は問題です。もし、大学が近くにあれば単身赴任しなくてもよかったかもしれません。ただ、京都という環境が長所でもあります。あまり観光している余裕はなかったですが・・・。


Q4. 在学中で大変だったことは?

 研究計画のデザインを確立するまで大変でした。2年のMPHコースの場合は、課題研究があります。論文は必要ないのですが、課題研究の発表があります。発表のためには、2年で結果を出さないといけません。

 当初の研究計画では、新しく立てた研究を使いたかったのですが、結局は時間切れになりました。そのため、自分が持っていた解析していなかったデータを、課題研究の発表に使うことにしました。

 ゼロから計画するには、2年は短いことがあります。例えば、DPCデータなどを持っていれば、短期でも結果は出せるかもしれません。でも、せっかく研究をするなら、「自分で汗水流して、研究をしたかった」ので、入学したときは、手作り感あふれる研究計画を立ててしまいました(笑)。

 その計画は今でもデータを取っており、今後発表していこうと思っています。


Q5. 卒業して何か変わりましたか?

 臨床研究に対する興味と理解が増えました。普段の論文を読むときや、学会で人のプレゼンを聞いて、内容を批判的に吟味できるようになりました。
 また、職場の後輩の臨床研究計画の相談にものれるようになりました。ただ、これから自分の研究をどんどん実践していくことが課題だと思っています。


Q6. MPHを取得してよかったことは?

 入学する前は、公衆衛生の手法を学べばよかったので、MPH取得自体には興味はありませんでした。でも、実際に取得してみると、自信がつきました。日本では、MPHは認知されていませんが、「知っている人には伝わる、共通言語で話ができる」ので、取得して良かったと思います。
 ただ、「どうせMPHを取るなら、DPHでもよかったかな?」と、最近は欲が出ています。もっと卒業するのが大変だったと思いますが・・・(汗)。
 いまは後輩たちにもタイミングが合うならSPHで学ぶことを勧めています。




No1. 鳴本 敬一郎 さん

 現在(2016年)、静岡家庭医療養成プログラムで家庭医・指導医として活躍する鳴本先生に、MPHの取得に関するインタビューをしました。

 鳴本先生は、医学部在籍時より家庭医療を志し、University of Minnesota (U.S.A.)で家庭医療を研修しました。その後、University of Pittsburgh Medical Center (U.S.A.)にて、ファーカルティ・ディベロップメント・フェローとして臨床に携わる傍ら、MPHを取得されています。

 MPHを取得した経緯や、今の仕事でどのように役立っているかなど、興味深いお話を伺いました。

★ 鳴本さんのインタビューは、ここから (2016年6月11日)

 

Q1. 公衆衛生に興味を持ったきっかけは何ですか?


 正直な話、あまりなくて・・・(笑)。ミネソタで家庭医療の初期研修をやって、その次のフェローシップを、ピッッツバーグで行うことにしました。ピッツバーグ(注: St. Margaret Family Medicine Residency, University of Pittsburgh Medical Center)は、公衆衛生のMPHを2年パート・タイムでとれるコースが用意されていました。前任者の方々が、MPHコースを選択していたので、「それで、いいか」と・・・(笑)。
 入るまでは、公衆衛生について全く理解していませんでした。軽い気持ちで、「修士みたいのがあるのだ・・・」って感じでした。大学を卒業して、日本で1年、ミネソタでレジデンシーを3年間やった後に、入学したことになります

 


Q2. 在学した大学の長所と短所は?


 長所としては、入学した大学院は、Multidisciplinary(注:多くの分野を有する)で、必須科目から幾つかの科目を選択します。選択できる科目は、様々な領域が網羅され、+αで自分の好きな領域を取ることが出来ました。そのため、まんべんなく公衆衛生の勉強ができたと思います。

 短所は・・・アメリカの大学は、お金がかかります(笑)。


 たぶん・・・、1年間2ターム制で、1タームに6単位とるとして・・・、100万円くらいでしょうか。必須は30単位なので、公衆衛生修士を卒業するまでに、500万円くらい(!)かかっています。それなので、バイトしながら通っていました。
 

 言葉の問題もありました。3年間のアメリカでのレジデンシーの経験があったので、コミュニケーションは、何とかなりました。でも、課題がかなり多いので、課題を英語でこなすのが大変でした。

 本当は「家庭医療フェローの付随で、MPHの取得」のはずでしたが、こっち(MPHコース)の方の比重が多くなってしまいました。楽しかったですが(笑)。

 


Q3.  在学中に大変だったことは?


 お金のやりくり(笑)!そして、プレゼンですね。母国語ではないので、人一倍準備をして用意していました


 でも、一番大変だったのは課題ですね。1週間で1~2クラスがありました。1つのクラスでの「読みもの」が、何百ページもありました。絶対に全部読み切れないのですけど・・・(笑)。その「読み物」を読んだ後に、授業が行われ、授業の後に課題がでます。

 授業が終わった後に、「今回学んだ事に対して、自由に議論しなさい」と言われ、オンライン・チャットが開始されます。チャットで、必ず2~3発言をしないといけません。発言しないと、評価になりませんから・・・。チャットが開始されると、最初はみんな出方を伺っているのですけど、そのうち議論が白熱してきます。

 そうなると、ある程度の内容の質の高い質問をしないといけません。僕の場合、その質問を英語でしなくてはならないので大変でした。

 きつかったです。正直、「MPHコース、早く終わってくれ!」と、思ってしまいました(笑)




Q4. 卒業して、変わったこと


 あるクラスで学んだ「人種による医療の格差」という概念に、衝撃を受けました。クラスの中で、かなりCriticalに議論をしました。その中で、教授に言われた言葉が忘れられません。その教授に、「これはIndividual の問題ではない。これこそPublic Health の視点だよ。」と言われ、初めて「公衆衛生って、このことか!」と、理解できました


 ミネソタ(初期研修)では、目の前の患者に対するトレーニングが主だったのですが、公衆衛生を学ぶ場で、Public Healthの視点を意識するようになりました。目の前の患者だけでなく、「この地域で、何が起こっているのか」、「何が、問題なのか」、「僕らは、どうしたら解決できるのか」。さらに、その問題を解決するのに付随して、「目の前の患者が、どのよう良くなるのか」。こんな視点で患者を診るようになりました


 家庭医療の勉強に海外に行きましたけど、結局、公衆衛生の勉強が、もっとも役に立ったと思います。レジデンシーで、文化の違いを有する人種や難民を見ていた中で、「普通の医療が、通じない」ことが、実感されました。実際の医療は、なんか違うのです。「僕がやっている医療は、本当にいいのだろうか。」と、疑問に思いました


 例えば、「難民の人が、道に迷う」、「移民の患者が、言葉がしゃべれない」。こんな事が、健康に最も直接的に影響するのです。こうなると、「薬のエビデンス」なんて、何にもなりません。3年間の家庭医療の初期研修での疑問(人種が医療に直結)を、その後の2年間の公衆衛生を学ぶ中で、はじめて概念化・言語化できました。3年間での疑問が、初めて「フィットした」って感じですね

 


Q5. MPHを取得してよかったことは?


 タイトルは、あまり関係ないですね(笑)。正直、日本の社会ではMPHの取得は、関係ない。まあ、論文にMPHって書けることは、よかったと思います
 あと、国際学会などで発表するときは、使えます。他の発表で、MPHフォルダーを見たときに、「(公衆衛生の)共通認識がある」とわかるので、話が通じます


 今後、日本でMPHが活躍できるようになると、いいですよね。