復活 ”名前のない・座談会”

いま、卒業した同級生は、何をして、何を考えているのか。

毎回、現場に戻ったMPHホルダーが語る「座談会」です

1年間に3回程度 ”名前のない 座談会” をしています。

予定をご確認いただき、参加のご希望がありましたら、
お問い合わせフォームから連絡ください。



No3. 「卒業後のキャリア・チェンジ」 4期 2年コース 藤好さん

2017年7月の座談会は、人が集まると思われる帝京大学SPH入学説明会に合わせて行った。

今回の話し手は、4期生2年コースの藤好さん。

SPHの入学前、入学後のキャリア・チェンジについて、いろいろ話していただきました

彼女のバック・グラウンドは、薬剤師。

特に、薬剤師の方で、日々の生活に物足りなさを感じている方、ぜひ!

第4期 2年コース卒業 (藤好さん) ★記事は、ここから★

 

SPH入学前


 薬学部を卒業して、そのまま薬局薬剤師として地域医療に密着しながら10年以上経過。

勉強は重要だと考えて、卒後もいろいろな講習会などに出席し、キャリアを築いてきた。

管理職となっても学ぶことは継続していたが、「キャリアアップのための勉強だったはずなのに、趣味になってないか?」と疑問に思い、体系的に学びを得るために帝京大学SPHに入学を決めた。

 


SPH在学中


 帝京大学SPH在学中は、薬局薬剤師としての仕事を両立しながら、勉強と授業に邁進した2年間であった。

 研究のフィールドは当然、地域の薬局。

 患者さんにアンケートをとり、研究を行った。

「基本を積み重ねていくことで、地域の薬剤師でも研究し発信することは可能」とわかった。

 この理解こそ、「SPH卒業で得た最大の価値であった」と、語る。

 

SPH卒業後

 SPH卒後は、薬局薬剤師も同時に卒業することとした。

 「企業で働くという経験もしてみたい。働き方に多様性があっても良いはず。」と、薬局からの卒業理由を語る。

 卒後は、語学・体の鍛錬を行いつつ外資企業への就職をすることとなった。

 就職先を見つけたきっかけを話してもらったところ、「たまたまです。」と本人。


最後に・・・

  彼女の行動力を普通ではないと考えるのは、間違っている。


  実は、このような人材が、日本に多く潜んでいる。

  実際に、現状を変えたいと考えている人は、彼女の生き方を垣間見てみるとよい。

  きっと、背中を後押ししてくれるはずだ。


 


No2. 「卒業後の進路」 3期 2年コース 小室さん

 2016年12月のの座談会は、帝京大学SPH入学説明会に合わせて行った。今回のスピーカーは3期2年コースの小室さん。SPH入学の経緯や在学中に大変だったこと、卒業後の進路の話など・・・

様々な内容を話していただいた。

医師、看護師以外の方、必見です!!!

 

第3期 2年コース卒業 (小室) ★記事は、ここから★

 

SPH入学前


 彼女のバック・グラウンドは、臨床検査技師。

 臨床検査技師は、その名のとおり「病院で検査業務に従事する」職種である。病院では、「地下3階で活動する」と言われる裏方である。実は、病院において臨床検査技師がいないと、病院業務は成り立たない。しかし、病院を受診する患者が、「臨床検査技師」を認識することは、ほぼ無い。。

 彼女は、臨床検査技師の資格を持ちながら、大学卒業後に医療機器メーカーで販売促進業務についた。そののち、臨床試験受託機関の会社に転職し、「治験の被験者のデータを集める業務」に携わることとなった。「治験」とは、患者を対象とした臨床試験で発売前の新薬、医薬品、医療機器の効果や安全性を科学的に分析する事を目的としている。新薬の開発では、なくてはならないパートである。

 治験業務に携わりながら製薬企業の統計家と接するうち、臨床試験のデザインについて興味を持った。臨床試験の基礎である「生物統計の知識をついて体系的に学びたい」と考えて、帝京大学SPHの入学を決めた。

 


SPH在学中


 最もSPH在学中に苦労し、また得たものが大きかった教科は、(当然であるが)生物統計学であった。帝京大学SPHの生物統計学には、統計解析ソフトウエアのSAS(sas institute inc、Cary,NC,USA)を使用されている。「生物統計学を学ぶのも初めて、プログラムも初めてだったため、はじめはとても苦労しました。」と、語る。

 その他も「個ではなく集団で物を考える」疫学や、医療の仕組みを学んだ医療管理学(医療政策学、医療経済学等)という教科が、特に印象的であった、とのこと。「生物統計以外の帝京SPHで学んだ、それらの科目が、今の業務で生きていると、卒後に理解した」と、話す。

 帝京大学SPHでは、5分野(生物統計、疫学、行動科学、医療管理学、国際保健)を全て学ぶことが課されている。彼女にとっては、元々学びたいと思っていた生物統計はもちろん、「他の分野から、学ぶことが多かった」と語る。逆に、「他の分野を学ぶことが課されている」ことがきっかけで、勉強し興味を持つことが、今の仕事に生かされている、らしい。

 「自分の学びたい動機になった科目以外にも、興味を持たせる。」これこそ、帝京大学SPHの魅力ではないだろうか。

 

SPH卒業後

 皮肉にも、帝京SPH卒業後、就職先は在学中に苦労したSASを用いる職場であった。
「1年くらいSASに暴露されていると、何とかなるものです(笑)」と語る。在学中にはありえない発言である。

 「SPHを卒業して、今の職場に就職した時は不安があった」と、言うが、在学中に超えたハードルがあったからこそ、就職後も適応できたのではないか。

 SPHで学ぶとは「守備範囲を広くすることではないか」と彼女の話を聞いて改めて感じた。

最後に・・・

 彼女に、今後の抱負を聞いてみた。

「自身が臨床試験に携わることでほんの少しでも世界を変える手伝いをしたい」と生物統計家(の卵)は語る。

 日本には、「生物統計家の人材が少ない」と、言われている昨今。

 生物統計家を、「いかにして育成するか?」は、日本のSPHに課された課題であると、彼女の話を聞いて、改めて認識した。



No1. 「薬剤師によるMPHとしての自殺対策への関わり方」 4期生 (1年コース) 玉井 

 座談会は、彼の自己紹介から始まった。既に同級生としては、彼の背景を知っているが、改めて彼のSPHの入学の経緯や、卒業後の仕事の内容を聞くと、「攻めの人生」であることを認識した。

2016年 5月 19日

第4期 1年コース卒業 (玉井) ★記事は、ここから★

 

SPH入学前


 彼のバック・グラウンドは、薬剤師。大学を卒業後、MRとして大手外資系製薬会社に入社した。当時のMRは今ほど厳しい規制も無いため、様々な営業活動がされていた様だ。その内容を聞くと、「戦果は、戦術・戦略をいかに構築するか」が、カギであると思い知らされる。その戦術・戦略もあり、MRとして業績優秀者特別賞を、入社して3年目に取得してしまった。そのまま、順風満帆に「伝説のMRとして、製薬業界で活動するか」と思いきや、突如として会社を退社。世界70ヶ国以上を放浪する旅に出かけた。

 でも、彼は「初めから想定範囲内」と淡々と話す。 

 その話を聞くと、そんな彼が、「なぜ公衆衛生を選択したのか」が、わかった気がする。

 


SPH入学へ


 日本国内を含め、世界70か国を旅する中で、震災・戦争が人に大きな影響を改めて認識し、「どうすれば、人を助けられるか」に興味を持った。ウサーマ・ビン・ラーディンがパキスタンにおいて米国海軍特殊部隊によって行われた軍事行動で殺害されたとき、彼は同地にいたらしい。特に、自殺の対策は興味を刺激し、「なぜ日本は、自殺対策が遅れているのか、どうすれば自殺対策が出来るか」という難問を解決する為に、SPHの門を叩くことになった。座談会では、この過程を詳しく語ってもらった。
在学中は、持ち前のプレゼン能力の高さを生かし、研究で得られたデータを要所で使い、人を納得させる能力には、同級生・教官一同、圧倒されるばかりであった。

 


SPH卒業後


 SPH卒業後は、管理薬剤師として現場に戻った。新規の調剤薬局を任され、業績も右方上がりに上昇する店舗として、経営陣に認知されるようになった。そこでも、戦術と戦略を使い分け、「言語の統一」、「意識の啓発」を行いスタッフの教育を行ったこと、現場からのデータを、経営者に効果的にプレゼンすること、など、SPHで学んだ知識を生かしながら仕事をしている様が見て取れた。
また、自作対策についても、NPO法人に活動の場を移し、継続して取り組んでいる様子も報告してもらえた。



最後に・・・


 今後、本業でも、新規の事業展開を企画しているとの事であった。また、機会が有れば、「続き」を語ってもらいたい、そう思える座談会であった。